深夜十一時、須田朋美の携帯が震えた。表示された名前は、ある中堅企業の人事担当者。普段、こんな時間に電話してくる相手ではない。「先生、明日でいいんですけど……いや、今日中に、相談だけ、聞いてもらえませんか」。受話器の向こうの声は、押し殺すように、震えていた。ハラスメントの相談――上司から部下への、長期にわたる言動。被害者は、もう限界のところにいる。朋美は、机のスタンドの灯りを消さず、メモを引き寄せた。「ゆっくり話してください。私は、ここにいますから」。労務の世界で、夜に鳴る電話は、たいてい、誰かの限界の音だった。 翌朝、朋美は会社を訪ね、被害を受けた女性社員と、別室で面談した。三十代後半、入社十二年目のベテラン。だが、目の下にはくっきりとクマが浮かび、声は囁くように小さい。「私が、おかしいんでしょうか」――その第一声に、朋美の心は痛んだ。ハラスメントを受けた人の多くが、最初に言うのは、加害者への怒りではなく、自分への疑いだ。朋美はメモを取らず、ただ静かに頷いた。「あなたは、おかしくないです。まず、それを、私から、はっきり言わせてください」。女性は、その一言で、堰を切ったように、泣き始めた。 ハラスメントの聞き取りには、慎重さが必要だ。記録の取り方、言葉の選び方、二次被害の防止。朋美は、女性に「どんな話も、否定しません。事実と、感じたこと、両方を、自分のペースで話してください」と前置きした。話は、断片的に、しかし、確かに重なっていった。深夜の業務指示。人前での叱責。能力を否定する言葉。プライベートへの過剰な干渉。一年以上、続いていた。「証拠は、メールと、録音が、残っています」と女性は言った。朋美は、その勇気に、心の中で、深く頭を下げた。 会社側との交渉は、慎重かつ、毅然と進めた。経営陣は、最初、加害者の立場を擁護する姿勢を見せた。「彼は、業績の出る社員で……」――その言葉に、朋美は静かに、しかし、強く反論した。「業績の出る社員が、誰かの心を壊す権利は、ありません。それを許せば、御社は、もっと多くの優秀な社員を失います」。彼女は、過去の判例、厚労省のガイドライン、企業のリスク管理の観点から、論理的に説明していった。経営陣の表情が、少しずつ、変わっていった。「先生、おっしゃる通りです。私たちは、対応を、誤っていました」。 加害者への処分、再発防止策、被害者の処遇改善。朋美は、それぞれに具体的な提案をまとめた。加害者には、降格と研修受講を義務付け。被害者には、休職期間の有給扱いと、復帰後の配置転換オプション。そして、もっとも重要だったのが、第三者委員会の設置と、社員相談窓口の常設だった。「ハラスメントは、個人の問題に見えて、組織の構造の問題なんです」と朋美は会議で説いた。「窓口がなく、相談しにくい雰囲気がある。だから、被害が長期化する」。経営陣は、深く頷いた。「うちには、その窓口が、なかった。先生、お力をお貸しください」。 社員研修プログラムの設計には、二ヶ月かかった。座学だけでは、人は変わらない。朋美は、ロールプレイを取り入れ、加害者・被害者・傍観者、三者の視点を体験できる構成にした。「ハラスメントの多くは、加害者に『ハラスメントしてる自覚』がない」――それが、彼女が現場で見てきた事実だった。研修の最終日、参加した管理職の一人が、彼女に言った。「先生、私、知らないうちに、誰かを傷つけていたかもしれません。これから、もっと、言葉を選びます」。朋美は、静かに、そして深く、頷いた。 半年後、被害を受けた女性社員から、朋美に手紙が届いた。「先生、退職届を、撤回しました。会社に残ります。新しい部署で、新しい上司のもとで、もう一度、頑張ってみます」――そう書かれていた。手紙には、彼女の小さな娘が描いた絵が、同封されていた。「ママのお仕事の先生へ」。クレヨンで描かれた、笑顔の女性と、空に浮かぶ星。朋美は、その絵を、デスクの正面に貼った。「制度は、人を救うためにある」――その言葉が、いまもう一度、形になって、彼女の机を見つめていた。窓の外、夕暮れの空が、ゆっくりと色を変えていった。 事件のあと、朋美は、ハラスメント対応の指針を、社労士業界の研修会で発表した。「私たちは、書類を作る人間じゃない。誰かの限界に、最初に立ち会う人間です」。聴衆の中には、若い社労士たちが、真剣な表情で頷いていた。彼らがいつか出会うであろう、夜十一時の電話。その電話の向こうにいる誰かのために、いま、自分にできることを、彼女は伝え続けた。社労士という仕事の本質は、制度の解釈にあるのではない。人の声を、最初に聴く勇気にある。それを、朋美は、自分の十年で、確信していた。