二〇二四年八月二十日、長崎の夜は、夏の湿気を含んで、重く暑かった。山下大貴は、出島交流会館八階の会議室で、ZOOMの起動を待っていた。画面に映るのは、インドのベンガルールに本拠を構えるスタートアップ、EasyBookz の創業者、ヒマンシュ・パテル。インド工科大学(IIT)の出身で、教育系のクラウドサービスを、英語と複数のインド地方言語で展開している。今日は、業務提携の最終ミーティング。五ヶ月にわたる、地球の反対側との対話の、ひとつの節目だった。日本は夜八時、インドは夕方四時半。時差三時間半。二人は、画面越しに、お互いに、深く頭を下げた。 ヒマンシュは、英語で、ゆっくりと話し始めた。「ヤマシタさん、五ヶ月前、初めてあなたから連絡をもらった時、私は正直、驚きました。日本の、しかも長崎という小さな街から、私たち EasyBookz と組みたいと言ってくれる人がいるなんて」。山下は、画面越しに、笑った。「ヒマンシュさん、長崎は、小さい街だけど、四百年前から、世界とつながってきた街なんです。私たちは、その伝統を、令和の形で、続けたいだけなんです」。ヒマンシュの目に、興味の光が、灯った。彼は、日本の歴史に、深い関心を持っていた。 EasyBookz は、インドの貧困層の子どもたちが、低価格でデジタル教材にアクセスできるサービスだった。一方の Garoop は、日本の子どもたちが、生成AIを使って、自分の事業を立ち上げる、鍛校のプラットフォーム。一見、違うサービスに見えるが、根っこのビジョンは、驚くほど似ていた。「子どもたちが、自分の力で、自分の人生を、切り開く環境を作りたい」――その一点で、二つの会社の理想は、完全に、重なっていた。提携の議論は、最初、技術的な統合から始まった。だが、回を重ねるごとに、二人の対話は、もっと根本的な、教育観や、人生観の話に、なっていった。 「ヤマシタさん、なぜ、長崎にこだわるんですか?」――ある回のミーティングで、ヒマンシュが、率直に聞いた。山下は、しばらく考えてから、こう答えた。「東京からのスタートアップが、世界に届くのは、当たり前の時代になりました。でも、地方からは、まだ、稀です。それを、当たり前にしたい。長崎は、その『証明の場所』として、僕には、必要なんです」。ヒマンシュは、深く頷いた。「私も、ベンガルールにこだわっています。インドのスタートアップは、デリーやムンバイから出るのが、これまでの主流でした。私たちは、それを、ベンガルールから、変えたい」。地球の両端で、似た想いを抱えた二人が、画面を挟んで、笑い合った。 提携契約の難しさは、想像以上だった。日本とインドの、商法の違い。データ保護規制の差。為替リスク。タイムゾーン。コミュニケーションの言語と文化のずれ。山下のチームは、契約書のドラフトを、何度も書き直した。ヒマンシュ側のチームも、何度も、確認と修正を、送り返してきた。途中、感情的に、衝突しかけた瞬間も、あった。「ヤマシタさん、この条項は、インドの法律では、使えません」。山下は、最初、戸惑った。けれど、彼は、すぐに、自分の側の弁護士に相談し、別の表現を提案した。文化の違いを、対立で終わらせない。それが、彼の流儀だった。 ある夜のZOOMで、山下は、ヒマンシュに、出島の話をした。「ヒマンシュさん、四百年前、長崎には、出島という小さな埋立地がありました。日本が鎖国していた時代に、唯一、世界とつながる窓だった場所です。オランダ人と、日本人が、その小さな島で、物だけじゃなくて、医学や、思想や、文化を、交換していました」。ヒマンシュは、画面の前で、静かに聞いていた。「いま、Garoop と EasyBookz が、やろうとしているのは、その出島の精神の、現代版だと、僕は思っています。日本とインドが、子どもたちのために、知識と、可能性を、交換する」。ヒマンシュの目に、深い感動が、宿った。 提携契約締結の日、二人は、ZOOMの画面越しに、サインした書類を、互いに見せ合った。長崎は夜十時、ベンガルールは夕方六時半。長崎港の対岸には、稲佐山の灯りが、すでに、夜景の準備を始めていた。ヒマンシュ側の画面には、夕陽に染まるベンガルールの空が、映っていた。「ヤマシタさん、これから、本当に、よろしくお願いします」。「ヒマンシュさん、こちらこそ、よろしくお願いします。長崎に、いつか、来てください。出島を、ご案内します」。二人は、画面越しに、深く、深く、頭を下げた。地球の両端の、二つの街が、静かに、繋がった瞬間だった。 提携が公表された翌日、Garoop の社内 Slack に、社員たちが、それぞれの言葉で、感想を投稿していた。「初めての海外提携。ドキドキする」「長崎発、世界へ、が現実になってきた」「ヒマンシュさんに、いつか会いたい」――。山下は、それらのメッセージを、ひとつずつ、丁寧に読んだ。出島交流会館八階の窓から、長崎の夜景が、いつもどおりに、広がっていた。けれど、その夜景の意味は、昨日までとは、少しだけ、違っていた。地球の反対側に、繋がりが、確かに、できた。長崎の坂の街から、Garoop号は、もう、ひとりじゃなかった。