六月、梅雨の合間の晴れた朝。須田朋美の事務所に、産休に入る予定の女性社員・美咲が訪ねてきた。お腹は大きく、もうすぐ三十六週。「先生、産休に入る前に、どうしても相談したくて」。彼女の声には、喜びと、不安が、入り混じっていた。「私、復帰できるんでしょうか。会社に、迷惑をかけずに、子どもを育てながら、働き続けられるんでしょうか」。朋美は、静かに微笑んだ。「美咲さん、まず、産休と育休の権利は、あなたの当然のものです。誰にも、遠慮しなくていいんですよ」。窓の外、紫陽花が、雨に濡れて、深い青を湛えていた。 美咲が勤める会社は、社員五十人ほどの中堅IT企業。これまで、女性の育休復帰の前例は、あるにはあったが、二人だけ。「先輩二人とも、復帰したけど、結局、半年で辞めちゃったんです」――美咲の言葉は、まさにその不安の核心だった。朋美は、頷いた。「制度はあっても、文化が追いついていない。よくある話です」。だからこそ、彼女が今回、力を入れたいのは、復帰までの道のりを、美咲一人の問題にしないこと。会社全体の、組織文化の問題として、再設計することだった。「会社と、もう一度、一緒に、考え直しましょう」。 朋美は、まず、育休中の連絡頻度について、会社と協議した。「業務連絡は最小限。でも、社内の重要な動きは、本人が望めば共有する」。それを、ガイドラインとして文書化した。「孤立も、過剰な負荷も、どちらも避ける」。次に、男性育休取得の事例を社内で紹介し始めた。「美咲さんの夫も、二週間の育休を取る予定です。それを、社内に共有してもいいですか」。美咲は、少し驚いた顔をしてから、頷いた。「夫も、悩んでたんです。会社に、どう伝えればいいかって。先生のおかげで、勇気が出ました」。 復帰後の働き方も、丁寧に設計した。短時間勤務制度は法律で定められているが、それを「使いやすい形」にまで落とし込むのが、朋美の仕事だった。コアタイムの設定、リモートワークの併用、業務分担の見直し。「制度は、書いただけじゃ動きません。現場で使われて、初めて意味を持つ」。美咲の上司との三者面談を設定し、復帰後の半年間のロードマップを、具体的に作成した。「半年後の自分が、こうなっていたい、という姿を、自分で描いてみてください」。美咲は、ノートに、自分の手で、未来の自分を、描き始めた。 産休に入る前日、美咲は朋美の事務所に、もう一度、顔を出した。「先生、明日から、しばらく会えなくなります。本当に、ありがとうございました」。お腹に、優しく手を当てる彼女の姿は、母親そのものだった。「美咲さん、私たちは、いつでも繋がっていますよ。育休中も、何かあれば、いつでも連絡してください」。朋美は、彼女に小さなプレゼントを渡した。出産祝いと、復帰時に使ってほしいビジネス手帳。「焦らず、ご家族の時間を、大事にしてください。仕事は、ちゃんと、待っていますから」。美咲の目に、涙が光った。 出産から十ヶ月後、美咲が職場復帰した。最初の三ヶ月は、短時間勤務、週二日のリモートワーク。職場の同僚たちは、彼女が以前と変わらないチームの一員として、温かく迎えた。それは、朋美と会社が、半年かけて準備してきた『文化の更新』の成果だった。「先生、復帰できました。子どもが熱を出して、お休みする日もありますけど、職場のみんなが理解してくれて」。美咲の声は、産休前より、ずっと、力強かった。「これから、私の経験を、後輩の女性たちにも、繋げていきたいです」。 翌年、その会社では、別の女性社員が、産休に入った。今度は、美咲が、新しい妊娠中の社員の相談相手になった。先輩から後輩へ、バトンが、確かに、渡されていく。朋美は、それを少し離れた場所から、静かに見守っていた。「制度を作ることが、私の仕事の半分。残りの半分は、その制度が、組織の文化として根付くのを、見守ること」。社労士という仕事の不思議な醍醐味は、自分が直接動かなくても、誰かが誰かを支える光景が、自然に生まれていくことにある。 ある日、美咲から、朋美にメールが届いた。「先生、二人目を授かりました。また、ご相談に伺います」――短い文面に、こめられた信頼と、家族への喜び。朋美は、ノートパソコンの前で、しばらく動けなかった。十年前、自分が社労士を志した時、こんな日が来るなんて、想像していただろうか。誰かの『家族』と、誰かの『仕事』、両方が、当たり前のように、両立できる社会。それを、自分は、今も、作っている途中なのだ。窓の外、夏の夕暮れが、空を、ゆっくりと、夕焼けの色に染めていた。